靴と薬を被災地へ !    松原勝久先生お願いします。 [ひとがら]

講師としてお世話になっている松原勝久さんが、今回も震災の被災地支援をされています。靴と薬と衣料が必要という事をお聞きして早速氷見商工会議所に届けました。私は現地に行く事は出来ませんが自分の出来る支援をして行きたいと思います。

チューリップニュースとかず坊さんのブログをペーストしました。 

東日本大震災では今なお、多くの被災者が避難所での生活を余儀なくされています。
そんな中、19日、氷見市の民間ボランティアグループが宮城県に救援物資を届けました。
予想以上に物資がない現状に、さらなる支援の必要性を痛感したといいます。

氷見市の松原勝久(まつばら・かつひさ)さんらのボランティアグループは18日に氷見市を出発。
食料や衣類などの救援物資をもって19日、宮城県気仙沼市の避難所である気仙沼高校を訪れました。 きっかけは、松原さんの友人からの支援を求める連絡でした。

うどんの炊き出しを行うとあっという間に長蛇の列です。
こちらの避難所で、4日間のうち支給されたのはパン1個と水のペットボトル1本。
19日現在で、ほとんど救援物資が届いていませんでした。

松原さんらは、知人からの依頼で石巻市の避難所も訪問。 
被災者のみなさんは、福島第一原発事故のニュースも知らない中で支援を待ち望んでいました。

2日間にわたって避難所を回った松原さんは、現地のリーダーと連絡がとれれば、富山から足を運んでするべき 支援はまだまだあると訴えます。

時間が経つにつれ、必要な救援物資も変わってきます。
隊長の松原勝久さんは現地と連絡をとりながら、今後も官民一体となって長い目で支援を続けていく必要があると語っていました。

今月18日から20日にかけて、氷見市の男性ら有志が宮城県に支援物資を届けました。
避難所には少しずつ物資が届いているとされますが、実際には全然違ったといいます。
松原勝久さん「行ってよかったというのがまず一番目の気持ちですけど」

今月18日朝、有志7人が支援物資とともに氷見市から宮城県に向かいました。
発起人の松原勝久さんが気仙沼市の友人から要請を受けたからです。
深夜にたどり着いた気仙沼高校では、その友人、坂井政行さんが待っていました。

そして、体育館の隅にあったのは…「空箱の山の状態です。本当に空箱です。あぁ、空箱や」
食料品の空箱でした。被災した11日から松原さんが到着した18日までに
この避難所への物資の供給は1回しかなく、食料品は底をついていました。

松原さん「おそらく気仙沼の体育館の方だけは(物資が)ある。
それはみなさん知っておられるんだけど、そこまでとりに行くすべがない」
翌朝、松原さんらはメンバーを半分、気仙沼市に残し、石巻市へ向かいます。
坂井さんを通じて物資の要請のあった寺を目指します。
高台にある寺はふもとの自宅で生活している被災者に物資を配る場所となっていました。

「富山県の氷見から来ました」
「氷見!?あ、炊き出しですか?」
「え?はい炊き出しで・・」
「あ、要請してもらったやつだ!」

住民から拍手が起こりました。

ここでも物資の提供は1回だけで、自宅に残った食料を持ち寄ったり流れてきた
食料を洗ったりして、みんなで少しずつ分けていたそうです。
松原さんらは水や衣服などの物資を寺に降ろしたあと、炊き出しをしにふもとへ降りました。
うどんがゆであがるまでの間、松原さんが住民に話しかけました。
「本当にみなさん大変でしたね私たちもニュースで知ってびっくりしました。
今原発も大変だし、来るのが怖い人もいるかもしれないけど」

しかし、住民が聞き返します。

「原発って何の話ですか?」。
福島県の原子力発電所の事故を知らなかったのです。
電気もガスも水道も復旧していないこの地区、給水車はこの日の朝にきたそうです。
もちろんあたたかい食事はこの時が初めてでした。

「またがんばって来ますので、がんばってください!」「はい」
このあと松原さんは気仙沼市に戻ります。
炊き出しに並ぶ被災者の服は、すべて氷見から持っていった服に着替えられていました。
持って行った服は古着ばかりでしたが、とても喜ばれたそうです。

炊き出しの列もどんどん増え、あわせておよそ5000人にうどんを振る舞いました。
松原さんと坂井さんの会話「命が助かってよかった」「何もないけど命だけはある」
体育館へ入って「みなさんおはようございます。うどんのほう、どうでしたか?」「おいしかったで~す」
「がんばってまたくるようにしますので、それまでみなさんがんばってください」「は~い!!」

松原さんは全国の知人に呼びかけ、必要な物資などの情報を交換しながら順次、被災地へ物資を送っているということです。

ソース(KNB NEWS):
http://www2.knb.ne.jp/news/20110324_27523.htm



1 ■同感です(ρ°∩°)

行けない自分達は、しっかり元気に働いて、稼いで義援金なり物質を送りたいです。

凹んでたら、亡くなられた方に悪いですから。

力いっぱい(」゜□゜)」幸あれ~

2 ■無題

ありがたいですよo(^-^)o
あたしの会社は仙台空港南側にあります。
あと10分会社をでるのが遅かったら津波にのまれてました。
会社は水没(>_<)
今は協力企業・得意先総出で復旧作業です。

今日も愛知の得意先から大型バスが…
5人だけ乗ってあとはいっぱいの救援物資でした。

ありがたいですよ♪

3 ■素早い人助け


「松原勝久さんらが、今月18日朝、有志7人が支援物資とともに氷見市から宮城県に向かいました。 発起人の松原勝久さんが気仙沼市の友人から要請を受けたからです。 被災した11日から松原さんが到着した18日までに この避難所への物資の供給は1回しかなく、食料品は底をついていました。 」

この記事を読んで震災で緊急的に必要な動きは一週間以内と聞いたことを思い出します。
速やかな動きを尊敬しますね。かずさん、松原さん御苦労さまでした。被災した坂井さん達の復興を祈ります。            高岡 竹中

4 ■わかります

同じ気持ちになりました。

5 ■Re:同感です(ρ°∩°)

>りょうちゃんさん

まさしくその通りですね!出来る事でフォロー頑張りましょう!

6 ■Re:無題

>みぃママさん
間一髪でしたね...今は大変かもしれませんが一緒に力を合わせて行きましょう!

大阪からですが出来る範囲の事で精一杯支援します☆

身体には十分気をつけてください。

7 ■Re:素早い人助け

>高岡竹中さん

 松原先生、気を身体に気つけて活動をしてください。みんな応援しています


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