ノーベル物理学賞 「いちゃもん屋」上下関係嫌った 益川敏英 名誉教授 [ひとがら]

とても素敵なおじい様、この記事をみて益々好感度アップです。
こんな上司がほしいと思うのは私だけですか。 

「理論屋」。益川敏英さんは、こう自称する一方で「先生」と呼ばれるのを嫌うといいます。「たとえ同じ研究室でも上下関係は好きじゃない」。気さくな人柄で研究者仲間や後輩からの人望も厚いそうです。
名古屋市内の砂糖問屋の長男として生まれた。物理学者としての素養は小学生のころ、電気技師の経験のある父、一郎さん(故人)にはぐくまれ、「銭湯に入った帰り道、夜空を見ながら月食はなぜ起きるのかとか、電気モーターの仕組みなんかを教えてくれるんです。おかげで理科がすごく好きになりましたね」
中学、高校時代から数学や物理の成績はずば抜けていて、素粒子論との出合いは高校1年のとき。名古屋大教授だった坂田昌一博士が発表した素粒子理論「坂田モデル」を伝える新聞記事を読んだのがきっかけだそうです
「身近な場所で世界的な科学が生まれていることに感動し、名古屋大に入ろうと思ったのもこの時です」
入学後、友人や先輩をつかまえては大声で議論を挑み、「理論屋」の本領を発揮。同級生は「こっちが正しくても言い負かされてしまう。愛情を込めて『いちゃもんの益川』と名付けられたそうですよ
60年安保闘争が盛んだった時代で、学生運動のデモにも参加、そんな時でも、学生服のポケットにはいつも物理の本が入っていたとあります。
国語と外国語は大の苦手だった益川さん。大学院入試のドイツ語の答案は白紙だった。それでも数学と物理のセンスが認められて見事合格し、念願の坂田研究室の一員に。関係者は「独創的な発想をする若者が入ってきたと感心した」と振り返ったそうです。
院生時代は「勉強が一番楽しかった時期」。机に向かう際、癖でかんでいた左手の人さし指は、今も硬くなったまま。
平成9年、講演中に脳内出血で倒れ、入院生活を余儀なくされ、退院後はできるだけ歩くよう気遣うが、後遺症で「メモなしでは記憶がぽっかりと抜けるときがある」と豪快に笑ったということです。  親しみありますね。


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